誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない
誰でも手に入るものを幸せって言うの
『是枝裕和監督』と脚本家『坂本裕二さん』がタッグを組んだ『怪物』
観てきました〜。
いやぁ、なんて言うんでしょうか、色々と考えさせられる作品でしたね。
一言で言うと、『最高‼️』
- 構成
- 役者さんの演技
- 映像美
- 音楽
色々重なり合って最高です。
是枝裕和監督と坂本裕二さん
言わずもがなですが、簡単にこれまでのお二人の作品を紹介しますね。
- 誰も知らない
- 万引き家族
- 海街diary
- 三度目の殺人 等々
- 同級生
- 東京ラブストーリー
- 二十歳の約束
- カルテット 等々
誰もが1度は耳にしたことのある作品ではないでしょうか。
この『怪物』という作品は、異なる視点で同じ出来事を捉える、黒澤明監督の『羅生門』などと同じ形式をとっているんですが、全ての場面において無駄がなく、細かい描写も秀逸で、更にきっちりと伏線も回収してくれるので、観た後も『良かったわ〜』と思わせてくれる作品なんですね。
ただ、『この場面はどういう意味なんやろ』とか、『なんでこんなこと言ったんやろ』っていうのが多々あるので、自分なりの解釈を1つずつツラツラと書いていきたいと思います。
1つずついくんで、最後まで付き合って下さいね〜。
この後はネタバレになるので注意してね。
『怪物』考察【ネタバレ】
なぜ湊は早織に対して『湊の脳には豚の脳が入っていると保利先生から言われた』と嘘をついたのか
これは正直に依里のいじめのことを話せば、依里と自分の関係までバレてしまうと考えたからではないでしょうか。
また、保利は決して悪い先生ではありませんが、『それでも男か』『男同士、最後は握手』等、『男たる者こうあるべき』みたいな考え方を全面に出してくるので、湊は保利に対して不信感を募らせていたのかもしれません。
なぜ湊は車内から飛び出したのか
時系列では、絵の具ぶちまけ事件の後なので、仲直りしたいという気持ちと、依里からの着信があったことで、『まだ秘密基地で依里が待っている、会いたい。』という衝動に駆られて、このような行動に出たのではないかなと思います。
湊が消しゴムを拾おうとした時、なぜ固まっていたのか
劇中では消しゴムが何度も登場します。
これは今作のメッセージの一つである、『自身の上書き、生まれ変わり』を示唆しています。
消しゴムを拾えず固まっているシーンは、『自身の変わりたい思い』や、『自分の本当の気持ちを伝えたい思い』で揺れていることを表しているのではないでしょうか。
木田は保利の要求に対し、なぜ嘘をついたのか
この女の子は嘘なんかついてないんですね。
保利の『麦野が猫を殺したかもっていう話をしてくれ』という要求は、保利が木田から聞いた、『麦野君が猫で遊んでいて、その後見たら猫がぐったりしていた』という話を飛躍させたものです。
言わば、『湊が猫を殺した』という決めつけですね。
木田は湊が猫を殺したとは言っていないので、保利の質問に対し、『私そんなこと言ってません』と言ったんだと思います。
あとは、保利が問題のある先生だということが学校中で噂になっていると思うので、単純に関わりたくなかったということも考えられますね。
木田が雑巾を湊に投げ返した理由
木田自身は湊と依里の関係性を知っていて、湊に対して助け舟を出したのか、もしくは、木田はボーイズラブに興味があるので(教室で読んでいた本がボーイズラブ系の漫画)雑巾を受け取った湊が依里に対して、どのような反応を示すのかを試していたのかもしれないですね。
その前にも、音楽室に湊と依里の2人で行くよう仕向けていますしね。
ガールズバーに放火したのは依里なのか
依里で間違いないと思います。
火事の時、現場近くで依里が落とした点火棒を校長先生が拾っていることや、秘密基地での湊との会話、『ガールズバーを燃やしたのは依里君なの❓』という問いに対しても、『お酒は身体に悪いからね』と答えています。
実際、依里の父親清高も相当の酒呑みです。
また、同性愛者である依里からしてみれば、ガールズバーを異性のシンボル的な感じで捉えたことで、それを壊すという意味合いも含まれているのではないでしょうか。
校長先生は孫を轢いたのか
湊が校長に『好きな人がいるけど、正直に言えない』と言ったことに対し、校長は『私も嘘をついている』
この会話からも孫を轢いたのは夫ではなく、校長本人であると思います。
校長と夫の面会シーンでは、夫の口調や表情から、夫は認知症で、そんな夫に校長が罪をなすり付けたようにも感じました。
クライマックス
劇場でこの作品を観ている時に思ったのは、『この2人は天国に行ったんやぁ…』でした。
早織と保利が、台風の中電車内を探しても2人を見つけられなかったことと、湊と依里が、台風が過ぎ去った後に颯爽と走るシーン、この時は、来る時はあったはずの柵も無くなっていたので、『あぁ、この世ではないんかぁ』と思ったんです。
依里の服装も長袖から半袖に替わっています。
でも、観終わった後に色々と考えてたんですが、2人が生きているとか死んでいるとかよりも、世界そのものが変わったんだと。
湊と依里が精神的に生まれ変わって、希望に向かって走り出したんだと思うようになりました。
シナリオブックでは、ラストシーンは現実に台風が過ぎ去った後、2人で走っている描写があったので安心しました💕
怪物だーれだ
結局、怪物は誰の中にも存在する。
これが感想です。
早織から見れば『保利』や『学校』が怪物だし、保利から見れば、自分を陥れた『湊』や『学校』が怪物だし、湊や依里から見れば『早織の言葉、清高の虐待』一つをとってみても怪物だし、何より同性愛が受け入れられない『この世界』が怪物だと。
湊と依里がやっていた『怪物ゲーム』は、自分では正体がわからず、相手がくれる情報があってこそのものです。
これと同じで、『怪物』というのは、『自分ではわからない』ものなんです。
まとめ
是枝裕和監督と坂本裕二さんがタッグを組んだ『怪物』について自分なりに考察してみました。
これ以外にも細かい部分について、色々と話したいところですが、長くなるのでこの辺にしておきますね(笑)
人それぞれ、色んな解釈があって良いと思います。
冒頭にも言いましたが、全ての演出に無駄がなく、本当に素晴らしい作品でした。
そして、エンドロールで流れてくる坂本龍一さんの『Aqua』
帰ってから何回も聞きました。
ピアノだけであの表現力。
やば過ぎですね。
この『Aqua』は、1998年に作曲されたものですが、是枝監督も『坂本龍一さんが、この映画の為に作ってくれたのではないかと思わせてくれる曲』と話されていて、ほんまにそう思いますね。
そして、映画自体は1回観ただけでは見落としている部分があるので、2回3回と観るべき作品であることに間違いありません。
まだ上半期が終わったところですが、本年度の最優秀作品に決まりっ‼️
生まれ変わったのかな
そういうのはないと思うよ、元のままだよ
そっか、良かった
それでは、今回はこの辺で。
ほな、また。
コメント